カルケットの歴史
時代ごとに改良を加え、愛され続ける
「カルケットシリーズ」
ビスケット史の始まり
明治6年和菓子店の主人米津松蔵がビスケット研究に着手し、明治8年に完成をさせます。まさに日本のビスケット史の始まりです。
明治8年には銀座の松養軒が英字ビスケットを発売しています。大正に入りカルケットの名前が初めて世に出ました。大正9年、中央製菓から「乳菓 カルケット」が発売されたのです。
当時から、健康に過ごすことは人々の関心事でした。特に、子供達が健やかに育ってほしいという願いは時をさかのぼっても変わりはありませんでした。
健康食品という概念が今程はっきりと認知されていませんでしたが、カルケットは成長期の子供にお母さんが与える大切な食べ物として長く親しまれるようになったのです。
事実、カルケットには材料となる牛乳の栄養素、カルシウムやビタミンが多く含まれていたのです。
ガラス瓶に文字を彫り込んだカルケットの容器。「お医者ガススメル滋養のお菓子」とあり、一包は5銭。この当時からカルシウムを含んでいることが話題であった。
薄い缶入りのカルケット。大正時代のものです。フタの裏には今ならとても考えられないような薬かと思うような効能が書かれています。カルケットがただのお菓子ではないと購入者は思っていたのだということが感じられます。今読めば微笑ましささえ感じます。
明治から大正そして昭和へ親しまれてきたカルケットも悲しい戦後の一時期は子供達の口に入らないものになっていました。昭和27年、砂糖と小麦の統制令が撤廃され本格的にビスケットの生産が再開され、ビスケットは自由販売となりました。
その後、様々な種類のビスケットやクッキーが発売されましたが、昭和47年にイトウ製菓がカルケットの商標登録・製造権を得て、明治製菓と合弁会社を設立し、イトウ製菓と明治製菓が製造販売を協力してお客様にカルケットを紹介してきました。以後カルケットは日本のお母さま達の育児には欠かせない健康栄養食として、食生活の中に定着したのです。
年月が経ち、2003年8月より、株式会社カルケットは明治製菓よりこのカルケットの販売権を引き継ぎ、新生カルケットとして発売することになりました。この国民的な商品を取り扱うことになったことは大きな意義があることなのです。
今は立派なお宝になってしまった陶器の看板。カルケットの文字が街角にたくさんかかげられていたことでしょう。乳菓カルケットは庶民の生活とともにあったのです。
明治製菓が販売していたカルケット。パッケージの表には牛乳の絵とカルシウムの入っていることが強調されています。